2018年09月26日

前回のお話に続いて・・・

前回お話しした、亡くなった友人(Kさん)から依頼を受け作曲した「金の舟、銀の舟」のメロディにはついて・・・実は他にもKさんから、ある不思議で大切なメッセージを頂いていました。ここでは、そのことをお話したいと思います。

生前、Kさんから「金の舟、銀の舟」の依頼を受けた時、私自身このメロディは、今すぐに弾く曲ではないと葛藤していた時、勘のいい彼女も何かを気づいたのか、それから数日後にKさんから、再び次のメールが届きました。

「金の舟、銀の舟メロディはたぶん3.11(東日本大震災)の時に詞埜ちゃんに、降りた曲?かもです。何か関連があるのかなぁと思ってます。」

彼女がメールで伝えてくれた3・11の時に私に降りて来た曲とは、東日本大震災の後、東北の友人達と共に制作したチャリティーCD「無限なる光」のことだとすぐ理解しました。

幼少の頃から様々な見えない世界と繋がる事が出来る能力があったKさんでしたが、今回私に依頼してくれた「金の舟、銀の舟」のメロディが、震災に関わる「無限なる光」と何か関連がある・・・そう感じたようでした。

それがどう関連・繋がるのかは、私自身も、その時はわかりませんでしたが、それもKさんの大切な遺言でありメッセージと受け止めて、Kさんが天に旅立った後に、ご家族にそのことをお伝えして「無限なる光」のCDの音源を、お渡しし、親しい友人が集まったKさんの「お別れの会」の会場でBGMとして流して頂きました。

その後、今年の夏頃から手がけ始めた「金の舟、銀の舟」の音源のマスタリングを依頼したスタジオから完成の連絡を待っている間の9月6日に「北海道胆振東部地震」が起き・・・

そして話しは繋がり続きます・・・
「北海道胆振東部地震」が起きた一週間後の週末は、数ヶ月前から北海道のニセコ町にいる主人の叔母のところへ、亡くなった義父の納骨の報告と挨拶に行く予定をしていました。
叔母への挨拶の後、せっかくの機会だからニセコ町に一泊しようかと予定していて、随分前からペンションも主人が探し予約していました。
地震が起きた一週間後でしたが、余震も随分と収まっていたこともあり、予定通り叔母のいるニセコ町へ行く事にしたのですがニセコへ行く前日、一通のハガキが届きました。

それは、東北の三陸海岸に面している村にある宿で、私達がもう20年近く親しくさせて頂いている宿のご夫婦からのお手紙でした。
北海道の地震の情報から札幌に住む私達のことを心配し気遣ってくれたお手紙だったのですが、このご夫婦が営んでいる宿がある村も東日本大震災の時には大きな被害と多くの命が亡くなった被災地でもありました。

東北の震災地でもあった宿からの手紙。
そして、その手紙が届いた次の日に向かったニセコ町のペンションでも驚く事が・・・

それは、ペンションのオーナーの奥様と今回の北海道の地震の話しから、実はこのペンションのオーナーご夫妻も23年前の震災の被災者であったことを知ったのです。
オーナーご夫婦はもともと神戸出身で、阪神・淡路大震災の時に被災されて、その後、北海道のニセコ町でペンションを始められたとのこと。
そして、オーナーの奥様は今年の6月、親戚の法事で大阪に言った際に6月18日に起きた震度6の大阪府北部地震にも合ってしまったという話しにも驚きました。


Kさんが生前伝えてくれた
「金の舟、銀の舟メロディはたぶん震災に何か関連があるのかな」この言葉・・・

思えば、「金の舟、銀の舟」を弾き始める前に起きた、大阪府北部地震、そして西日本豪雨があり、その後には大きな被害を伴う台風、そしてメロディを弾き終えた後の北海道胆振東部地震

Kさんは亡くなる一年前から「金の舟、銀の舟」の曲が出来上がる流れと共に、この震災、自然災害のことを、何か感じ、受け取っていたのではと、Kさんの一周忌を迎えた今、あまりに繋がるシンクロにそう思ってしまいます。

Kさんが依頼して下さったことで弾く事ができたメロディ・・・
そしてKさんの魂が望み願ってくれていたことが、これからこのメロディと共にどう形となり流れて行くのか・・・


これからまた、日を追う毎に私自身も新たに知る事が起きるのかもしれません。
posted by Shino at 19:16| 日記